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【エデュケーションラボ】「平和」と「責任」をテーマに実施しました【教育関係者向け】

「平和」と「責任」をテーマに第3回・第4回ラボを開催しました。昨今の国際情勢とも重なり、なかなか簡単に言葉にで きない内容ですが、だからこそラボで考えたいと思い、このようなテーマを設定しました。

CFFがフィリピン・マレーシアを拠点に開催するボランティアプログラムでは、現地の戦争体験者の方にお話をうかがう「ピースセミナー」があります。 第3回でははじめに、このピースセミナーを基に、フィリピン・マレーシアから見た太平洋戦争を話題として紹介しました。

そして、フィリピンで戦争を体験したグレッグさん(トップ写真中央)の語りから、日本兵がしてきた残虐な行為を知ります。

・赤ちゃんを放り投げ銃剣で刺し殺す
・女性の乳房を切り落とし食べる
・生きている人の手や腕の肉をスライスして食べる
・釣り針にバケツをぶらさげ、それを下唇に引っかけて徐々にバケツの中の水を入れていく など

日本の青年たちにとってピースセミナーは、これまで自分が学んできた歴史について問い直すきっかけにもなってい ます。そして、グレッグさんは話の最後に必ず「いまは日本人を憎んではいない」「過去は過去で、いま青年同士がよい関係を築いてくれれば良い」とおっしゃいます。この言葉こそが、ピースセミナーの価値を象徴しているように思います。

また、フィリピンの児童養護施設の設立当時から関わり、ピースセミナーを立ち上げたメンバーの1人はこのようにも語ります。

村に行くと日本人と言うだけで現地の方の顔色が変わります。他のメンバーは石を投げられることもあったそうです。 ピースセミナーで戦争の話をしていただけるよう依頼に行くと「日本人が何をしてきたか教えてやる」と怒りでいっぱいの人、日本人への恐ろしさと不安で口を閉ざしてしまう人、そして事前には引き受けても直前になって怖くなり キャンセルしてしまう人もいました。ピースセミナーでは、日本人、フィリピン人が一緒に当時の話を聞き、涙ながらに 戦争について自分の感じていることを語ります。日本の青年たちは、日本人は過去にこんなひどいことをしてきたの にフィリピンの方はこんなにもよくしてくれるということに胸を打たれ、同時にフィリピンのおじいちゃん・おばあちゃんは 日本への憎しみや怒りから解放される機会でもあったように思います。

傷つけ合い、命を奪う戦争はあってはならないこと。しかし、それぞれの国で一人ひとりが「責任」を背負って戦争に臨んだことも事実です。また、CFFがピースセミナーを開き、異なる視点から見た戦争について伝えているのも戦争から生じた「責任」のひとつと捉えることができます。このことから、「責任はどのようにつくられるか?(生まれるか?)」という問いについて各グループで話しました。

この問いに関わって、印象的だったグループワークでのやりとりを抜粋して載せさせていただきます。

◯使命と責任の違い
・責任という言葉がつくと”重く”なる。責任という言葉を使わず、もっと奥にあるものを大事にしたい。 ・Responsibility の元、 Respond は神様から与えられた使命に「応える」という意味。
・日本兵たちは国を守る使命があると思って戦ったと思う。被害を受けた人への責任もある。「責任」には、自分の内側から出てきたもの(使命。Responsibility のように内発的動機として)と、外側から出てきたもの(国を守るために出兵しないといけないなど、自分の意思とは関係のない義務によって生まれたもの)の2種類があるのでは?
・使命を感じたら責任が生じる。⇔ 使命を感じないと責任は生じない?
世間で「責任を取れ」と人に言うけど、本人が自分に責任があると感じなければ本当の「責任」を取ることはできない。「責任」という言葉が一人歩きしている感じ。

第4回に引き続き「平和を実現するということ」をテーマに、フィリピンで戦争を体験されたグレッグさんのお話を受け、どのような問いが生まれたかを以下に挙げました。

参加者のみなさんから挙げられた上記の問いのうち、次の2つを選出して話し合いをしました。

「戦争によって失われたものと生まれたものは?」

・戦争というとマイナス面がフォーカスされがち。いま働いているところでは何もないからこそ生まれるものがあって、もちろん戦争はあってはならないことだけれど、生まれたものも考えてみたいと思った。失われたものとして命、命に対するリスペクトが挙がったがこの2つが失われたからこそ、その大切さを知ることができたとも言えるのではないか。キーワード の「責任」について自分は過去についての責任は負いきれないけれど、未来に対する責任について考えていきたい。
・殺人によって命が奪われること、戦争で命が失われることの違いはなにか? という問いが生まれた。これは人の命 について本質を問うものなのではないか。

「あなたがピースセミナーの参加者なら、日本人として謝りますか?」

・参加者の1人が「日本人として謝りたい」と戦争体験者の方に涙しながら謝罪した場面に立ち会い、自分は日本の代表ではないし、自分のしたことではないから軽々しく謝罪できないという違和感を持って、ずっとモヤモヤしていたが、相手の話を真剣に聞き、受け取ろうとしていたことが謝罪になっていたのかなと思う。
・自分の祖父がフィリピンに出兵していた。自分の家族がひどいことをしてしまったかもしれないと、戦争体験者の方に謝ったことがあるけれど、今回は受け止めることの大切さについて考えた。戦争体験者の方は日本人に謝ってもらうためではなく、知ってもらうために話してくれたのだと思う。
・自分だったら、この事実を知らずに生活していたことを謝ると思う。自分のために謝るのではないけれど、謝ることで自分の価値観が変わり、自分が変わることで、話してくれた人が癒される機会となるのではないか。
・謝るかどうかより、戦争体験者の方の気持ちを心から理解した時に何か行動が自然と起こるのだろうと思う。

ピースセミナーに参加した経験の有無に関わらず、戦争体験者の方の語り、語ってくれるまでの背景に思いを馳せ、また、そこから多様な問いが新たに生まれる学びの多い時間となりました。